第八計 暗かに陳倉に渡る
「之を示すに動を以てし、其の静を利すれば主有り、動を益して巽らす」「暗かに陳倉に渡る」とは、正面から攻撃するように見せかけ、敵軍の注意を引き付けておいて、遠回りをして奇襲をかけ、勝利を得る作戦である。
時代背景
本計の例話は、漢軍が関中(西安付近を東西に貫流する胃水流域)に出るため秦嶺山系を敵前で突破する計略である。第六計の「声東撃西」策の渡河作戦の前のことだ。ときは紀元前三世紀、のちに漢の高祖となる劉邦も、一代の梟雄・項羽に押えられ、漢中王として追放されていた。項羽は劉邦の中原への進出を阻止するため、部将章邯の軍を関中に配置していた。漢中から関中へ出るには標高四千メートルの秦嶺山系を通過しなければならない。通路は「蜀の桟道」と呼ばれ、絶壁をくり抜き、つり橋を渡した木の桟道しかない。桟道とは切り立った崖のわきに板をかけ渡し、足場として作った道だ。だが。用兵にすぐれた司令官韓信は本計略を使って突破した。
韓信の陳倉迂回作戦
自軍の行動を敵軍にわざと見せ、敵軍が防備を固めるのを利用して、敵軍が防備を固めたところを避けて主導的に奇襲をかけ、敵軍の虚に乗じて勝利を勝ち取る。