第二十六計 桑を指して槐をののしる
「大にして小を凌ぐ者は、警して以て之を誘う。剛中にして応じ、険を行いて順なり」「桑を指して槐をののしる」というのは、脅迫と利益誘導を結び付けて、戦わずに敵軍を屈服させる作戦である。」
時代背景
この計の例話は次の故事である。秦王の荘襄は東、西の小国に分裂していた周のうち、まず西周(紀元前二五六年)を、ついで東周(前二四四年)を伐って洛陽に軍を進めた。そのあとを受け継いだ嬴政(のちの始皇帝)は、この計を用いて趙の五つの町と、燕の十一の町を手に入れ、天下統一の駒を進めたのである。このように秦が他の戦国六雄を併呑して天下を統一していった過程をよくみれば、一々武力によってこれを倒していったのではなく、大部分は外交手段によって得たものであり、実際のところ、戦争は十中の二、三の場合にすぎなかったことは史家のほとんどが定論とする所である。この指桑罵槐の計も、第二十三計の「遠交近攻」もその謀略・外交の手段に使われたものである。
始皇帝、策により趙、燕の町を労せず手中に収める
弱小の者を屈服させようとする強大な者は、警告という方法で誘導することができる。態度が強硬で、行動が果敢であれば、弱小の者を服従させることができる。