第十一計 李が桃に代って僵れる
「勢に必ず損有るべし、陰を損ないて以て陽を益す」「李が桃に代って僵れる」とは、形勢が発展して損失が避けられない場合には、局部の損失を出して全局の勝利を勝ち取る作戦である。」
時代背景
本計の例話は、春秋時代(前七七〇~前四〇三年)の中期、晋の内部に起きた貴族間の抗争である。このころ晋は君主の景公が凡庸なため、北征する楚の荘王と邲(河南省鄭州)で戦って敗れ(前五九七年)、その勢威は楚の圧迫を受けて衰退気味であった。こうなれば晋の六卿と呼ばれる貴族達の間で派閥抗争が起こるのは自然の勢いである。なかでも屠岸賈はライバル趙朔の失脚をはかり、屠岸賈の言葉を信じた景公は趙朔一族を皆殺しにした。しかし一子趙武はその難を免れ、やがて成人して新帝悼公即位後、一族の名誉を回復するが、そうなったのは二人の趙家の忠臣が李代桃僵の計によって趙武の命を守ったからである。
程嬰、わが子を身代りに殺す
「李が桃に代って僵れる」というのは「李の木が桃の木に代わって死ぬ」という意味で、自分が犠牲になって他人を助けたり、他人を犠牲にして自分が助かったりすることである。すなわち、局部を犠牲にして全局の勝利を勝ち取るのである。」