第十六計 擒えようと欲すれば姑く縦て
「逼れば則ち兵を反し、走れば則ち勢いを滅じ、緊く、随うも迫る勿れ。其の気力を累させ、其の闘志を消し、散じて後ち擒えれば、兵は刃に血らず」 「擒えようと欲すれば姑く縦て」とは、敵軍を捕捉し殲滅するために、しばらく敵軍に対する行動を控え、敵軍の兵力が分散、減退したり、敵軍の作戦が明らかになったりしてから、行動に出る作戦である。」
時代背景
周が蛮族の犬戎の攻略を避けてその都城を鎬京から成周(洛邑)に移したのは、紀元前七七〇年の平王のときである。この周王室の東遷と行動をともにして王室の再建に努めたのは虢、鄭、晋であった。とくに鄭(河南省新鄭)の武公(在位前七七一~前七四四年)は周の平王の卿士として洛邑東方に新国を営み活躍したが、次の荘公(在位前七四四~前七〇一年)は、山東の大国斉と組んで旧国宋を圧倒し、斉、魯、衛、宋、陳など中原の東部地域の諸侯のかなめとなるほどの勢力をもつにいたった。この大発展は、荘公の政治力によるものだが、本計の例話は、この荘公が父の武公亡きあと、溺愛する母の姜氏にそそのかされて謀叛を企てた弟・段を、この計で討つ経緯である。
鄭王、段の叛意をつかんで伐つ
敵軍に肉薄すれば、敵軍は必死に反撃してくる。敵軍を逃してやれば、逆に気勢をそぐことができる。敵軍にぴったりついて追撃しても、ただちに攻撃せず、相手が兵力を消耗し、闘志を失い、戦力が分散、減退するのを待って捕獲すれば、流血の戦闘を回避することができる。