第六計 東に声して西を撃つ
「敵の乱萃・不虞は、『易経』の『萃』の坤下兌上の象なり。其の自主ならざるを利用してこれを取る」「声東西撃」とは、東方に進撃すると思わせて実際には西方に進撃し、敵軍を混乱させて統制不能に陥らせ、水位が高くなると堤防をいつでも決壊させることができるように、敵軍の混乱に乗じて進攻し殲滅する戦略である。
時代背景
本計の例話は有名な前漢の武将「韓信」の渡河作戦である。漢朝を創立した劉邦(高祖)は項羽と連合して秦軍を破ったが、その後自立して西楚の覇王と称した項羽の命にしたがって漢中(陝西省南鄭県)に赴任した。しかし項羽の勢力配分に不満を持つ劉邦は、項羽の北上を見て挙兵し、進撃の途次、名将韓信を卒伍の中から得た。漢軍の最高司令官となった韓信は、初陣で関中(西安の付近を東西に貫流する渭水流域)の平定に成功した。劉邦はここを策源地とした。劉邦は紀元前二〇五年、韓信に命じて山西省南部の魏王豹の討伐を命じた。討伐には黄河を渡らねばならない。そこで韓信が行った計略が声東撃西の計だったのである。
韓信、渡河点を変じて魏を伐つ
沢水[兌]が地上[坤]に集まって物を潤すのが萃であるが、人や物がたくさん集まれば思いがけない変事が生じやすいので、その機に乗じて敵軍に進攻して殲滅する。