第五計 火に趁 んで劫 を打く
「敵の害大なれば、勢いに就きて利を取り、剛、柔を決るなり」「火に趁んで劫を打く」とは、他人の家の家事に乗じて略奪を行うという意味であり、軍事的には、敵軍が困難や危機に遭遇したら、その気に乗じ出兵し、絶対的に優勢な戦力で苦境に陥っている敵軍をたたきのめす戦略である。
時代背景
明王朝の末期、一六二八年陝西地方に発生した大飢饉によって起きた暴動は、各地の流民を吸収して大規模な反乱に発展していった。その首領李自成は一六四三年西安を占領した。彼の部隊は規律厳正で貧者を救うなどのスローガンを掲げたので、各地の人民の支持をうけ、翌年に北京を攻略し明王朝を滅ぼした。このとき明軍の将呉三桂は、満州(現・中国東北部)の清に援助を求めた。順治帝は幼少のため叔父の睿親王ドルゴンが摂政となり清の政治を指導していた。ドルゴンは漢人の内乱に乗じて中国の政権を奪おう、呉三桂軍を山海関(河北省北東部、万里の長城の東端で渤海湾に面する要地)で李自成軍と戦わせ、双方が疲れたところで清軍を投入し、清朝を樹立した。
明の混乱に乗じて清朝を樹立
敵軍に重大な危機が生じたら、その機に乗じて攻撃し、勝利を勝ち取る。