第二十四計 途を仮りて虢を伐つ
「両大の間、敵脅して以て従えば、我れ仮すに勢いを以てす。困ずれば、言有るも信ぜず」「途を仮りて虢を伐つ」とは、隣国に対して他国を攻撃するために軍隊を通過する許可を求め、実際には隣国を攻撃して殲滅する作戦である 。」
時代背景
本計の主人公である晋の献公(在位紀元前六七七~前六五一年)は、晋の政権を確立した人である。集住時代、晋は中原西部に成立した諸侯国で、西周末以来政権が二分し対立と抗争に明け暮れていたため、東方諸国に比して発展が遅れた。しかし周王室が東遷したとき、これと行動をともにして、虢や鄭とともに王室の再建に努めている。虢(虎の爪あと)という国は、西虢、東虢、南虢、北虢と四つあった。このまんがに出てくる虢は四番目の北虢である。四つの虢の国はいずれも周から春秋時代にかけてできた国である。第一の西虢は、周の文王が弟の虢仲を西安の西方に封じた国である。第二の東虢は、同じく文王が弟の虢叔を西安の東、現在の山門峡市に封じた国である。第三は周の平王の東遷のとき、西虢が移った河南省陝県の東南の国で、南虢と呼ばれる。第四が虢仲の子孫が領した国で北虢と呼ばれ、山西省平陸県である。『春秋左氏伝』(孔子と同時代の左丘明の著書で、春秋時代のことが詳しく述べられている)の「晋侯復仮道於虞以伐虢」の記事から分かるように、この計は晋が北虢を伐った故事に基づいて作られたものである。
晋王、途を虞に仮りて虢を伐ち、返す刀で虞を伐つ
敵国との間に位置する小国が敵国に脅されて屈服しそうになったときには、直ちに出兵して支援し、小国の信頼を獲得して勢力を拡大すべきである。