第十八計 賊を擒えるには王を擒えよ
「その堅きを摧き、其の魁を奪い、以て其の体を解き、龍野に戦えば、その道窮まるなり」 「賊を擒えるには王を擒えよ」というのは、まず敵軍の主力を殲滅し、敵軍の指導者をとらえて、敵軍を混乱させ、瓦解させる作戦である。」
時代背景
本計の例話は明の六代皇帝英宗が、明の北方を侵犯しだしたモンゴル系住民のオイラート人の大軍を撃とうとして、逆に敵の首領のエセンの擒賊擒王の計に陥って河北省の土木堡で捕虜になったものである。オイラート人は十五世紀に強大となり、エセンが出て一時全モンゴルを統一した。エセンは四方に勢力を拡張して西は中央アジア、東は満州(現・中国東北部)、北はシベリア南部を支配し、元帝国の復興を志して一四四九年明に侵入したが、五四年部下に殺された。英宗はその後釈放され、数年して八代皇帝に即位し、天順帝と称した。しかしこれ以来北方民族の進出が激しくなり、明はその対応に苦しんだ。
オイラート軍、英宗を捕らえ明軍の闘志をくじく
敵軍の主力を打破し、敵軍の指導者を捕らえて敵軍を瓦解させれば、竜が大海を離れて陸上で戦うように絶体絶命の立場に追い込むことができる。