第二十三計 遠くと交わり近くを攻める
「形禁勢格(行動の自由がきかないこと)のときは、利は近く従り取り、害は以て遠く隔つ。上火下沢なり」「遠くと交わり近くを攻める」とは、敵の同盟国を瓦解させて各個撃破する、すなわち、まず遠国と同盟を結んで隣国を攻め滅ぼす作戦なのである」
時代背景
中国が春秋時代から戦国時代に移った紀元前四五三年以降、図の燕、趙、魏、秦、韓、楚、斉の七か国は戦国七雄として存亡を賭して戦った。しかし前四世紀中ごろから秦は変法政策を断行して著しく強国となり、これに脅威を感じた東方の諸国魏、趙、韓、燕、斉、楚の六か国は合従策(六か国の攻守同盟)をとり、秦に対抗した。その後、秦の嬴政(始皇帝)は応侯范雎の遠交近攻策を採用して優位をさらに強化し、ついに中原横断に成功した。本計の例話はこの計をうまく使って、次々と他の六雄を倒し、併呑して統一していく有様を述べたものである。
始皇帝の天下統一作戦
戦闘は地理的条件に制約されるので、近隣の敵を先に攻撃するほうが有利であり、遠隔の敵を先に攻撃するのは有害である。火は上のほうに燃え、河は下のほうに流れる。同じように、敵に対する対策も臨機応変に立てるべきである。