第三計 刀を借りて人を殺す
「敵已に明にして、友未だ定まらざれば、友を引きて敵を殺し、みずから力を出さずに損を以って推演す」「刀を借りて人を殺す」とは、自分は手出しをせず、策略を巡らし、自分が滅ぼしたい人を殺害することであり、軍事的には、自国の兵力を温存し、さまざまな矛盾を利用して、他国の兵力で敵軍を撃破する策略である。「離間の計」を採用して敵国の重要な将軍や策士を謀殺する策略である。
時代背景
本計の例話は、魏、呉、蜀の三国時代の基礎を作り出した赤壁の戦いの中で、呉の名将「周瑜」が行った計略である。
赤壁の戦いというのは、紀元前二〇八年「諸葛孔明」の補佐する「劉備玄徳」と、「周瑜」の補佐する呉の「孫権」の連合軍が、武漢地方に南下して来た魏の「曹操」の大軍を、赤壁(長江南岸にあって武漢市の上流にあり、正しくは湖北省嘉魚県に所在する)で迎え撃った戦いである。
呉の将軍「黄蓋」の火攻計で曹操軍が大敗したが、これが成功した裏には水軍の運用に詳しい降将二人を、周瑜の計略によって曹操に通敵者と思わせ、曹操の手によって殺させたことがある。
呉の周瑜、敵に刀を借りる
敵軍の状況が明らかになっているのに、友軍が決断せずにためらっているときは、さまざまな手段を講じて友軍に敵軍を攻撃させ、自軍の戦力を温存しなければならない。