第四計 逸を以って労を待つ
「敵の勢いを困らせ、以って戦わず、剛を損ない柔を益す」「逸を以って労を待つ」とは、自軍に有利な地歩を確保し、敵軍を困難な立場に追い込んで、すぐには進攻せず、「剛と柔は互いに転化する」という原理にもとづいて、積極的防御の戦術を取って敵軍を徐々に殲滅、疲労させ、強を弱に変え、受動的立場から主動的立場に転じることである。
時代背景
本計の例話は、唐朝創立のための統一戦争の中の一つである。唐朝の前の隋朝は、あまりにも急激な中央集権化と外征の破綻から三十八年で瓦解した。この乱に乗じ挙兵した李淵(唐の高祖)、李世民(太宗)父子は長安を陥れた。しかし洛陽には王世充集団が、その西方の興洛倉(河南省鞏県)には李密、河北東部の平原には竇建徳、宇文化及、徐円朗などがいて抗争しているため、唐朝創立のためにはぜひとも彼らを征伐しなければならなかった。李世民は洛陽包囲中、王世充を救援にきた竇建徳軍に対し、以逸待労の計をもって破ったのである。
唐将、敵を疲れさせて勝つ
強大な敵軍に対しては、戦闘を焦ってはならず、積極的防御の戦術を取り、敵軍が疲労して戦力が衰えるのを待って進攻する。