兵 法 三 十 六 計

勝戦の計  敵戦の計  攻戦の計 
1・瞞天過海 2・囲魏救趙 3・借刀殺人 7・無中生有 8・暗渡陳倉 9・隔岸観火 13・打草驚蛇 14・借屍還魂 15・調虎離山
4・以逸待労 5・趁火打劫 6・声東撃西 10・笑裡蔵刀 11・李代桃僵 12・順手牽羊 16・欲擒姑縦 17・抛磚引玉 18・擒賊擒王
混戦の計 併戦の計 敗戦の計
19・釜底抽薪 20・混水摸魚 21・金蝉脱殻 25・偸梁換柱 26・指桑罵槐 27・仮痴不癲 31・美人計 32・空城計 33・反間計
22・関門捉賊 23・遠交近攻 24・仮途伐虢 28・上屋抽梯 29・樹上開花 30・反客為主 34・苦肉計 35・連環計 36・走為上

■ 三十六計「詭道」の集大成
■ 兵法としての「三十六計」
■ 兵法三十六計の「かたち」


苦 肉 計くにくけい

三 十 六 計

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第三十四計 苦肉の策をめぐらせ

「人は自ら害せざれば、害を受くること必ず真なり。仮を真とし真を仮とせば、間は以て行うことを得」「苦肉計」とは、自分を傷つけて(自軍の部隊を攻撃したり、ひいては殲滅させたりして)、敵軍に錯覚を起こさせ、敵軍の離間を策す作戦である。」

時代背景

本計の例話も南宋の初年のころである。南宋の高宗は、靖康の変、すなわち北宋末の靖康年間(一一二六~二七年)、国都開封が前後二回、金の軍勢の攻撃を受けて陥落し、皇帝らがみんな拉致されて連れ去られたとき、ただ一人金の手にかからず残って南宋を再建した人である。高宗は北宋最後の皇帝欽宗の弟であったので、すぐ再建にとりかかることができたのである。本計の例話に出てくる陸文龍は、潞安州(現在の山西省長治市を中心とする地区で、長治市は鄭州の北北東二百キロにある)の節度使(地方長官)の息子であったが、金軍に両親を殺され拉致された。このように金の軍勢は兵力を補充するため占領地から多くの将兵を徴発した模様である。

岳飛の部下、苦肉計により南宋軍を救う

自分で自分を傷つけるものは無く、必ず他人から傷つけられる。傷つけられたと嘘の芝居を演じて、敵側にその芝居を信じ込ませることができれば、敵側を離間させることができる。