勝戦の計 | 敵戦の計 | 攻戦の計 | ||||||
1・瞞天過海 | 2・囲魏救趙 | 3・借刀殺人 | 7・無中生有 | 8・暗渡陳倉 | 9・隔岸観火 | 13・打草驚蛇 | 14・借屍還魂 | 15・調虎離山 |
4・以逸待労 | 5・趁火打劫 | 6・声東撃西 | 10・笑裡蔵刀 | 11・李代桃僵 | 12・順手牽羊 | 16・欲擒姑縦 | 17・抛磚引玉 | 18・擒賊擒王 |
混戦の計 | 併戦の計 | 敗戦の計 | ||||||
19・釜底抽薪 | 20・混水摸魚 | 21・金蝉脱殻 | 25・偸梁換柱 | 26・指桑罵槐 | 27・仮痴不癲 | 31・美人計 | 32・空城計 | 33・反間計 |
22・関門捉賊 | 23・遠交近攻 | 24・仮途伐虢 | 28・上屋抽梯 | 29・樹上開花 | 30・反客為主 | 34・苦肉計 | 35・連環計 | 36・走為上 |
■ 兵法としての三十六計について ■ 兵法・三十六計の容(かたち) | |
せいとうげきせい |
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声東撃西 |
第六計 東に声して西を撃つ |
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「敵の乱萃・不虞は、[『易経』の『萃』の]坤下兌上の象なり。其の自主ならざるを利用してこれを取る」 |
「声東西撃」とは、東方に進撃すると思わせて実際には西方に進撃し、敵軍を混乱させて統制不能に陥らせ、水位が高くなると堤防をいつでも決壊させることができるように、敵軍の混乱に乗じて進攻し殲滅する戦略である。 |
時代背景
本計の例話は有名な前漢の武将韓信の渡河作戦である。漢朝を創立した劉邦(高祖)は項羽と連合して秦軍を破ったが、その後自立して西楚の覇王と称した項羽の命にしたがって漢中(陝西省南鄭県)に赴任した。しかし項羽の勢力配分に不満を持つ劉邦は、項羽の北上を見て挙兵し、進撃の途次、名将韓信を卒伍の中から得た。 漢軍の最高司令官となった韓信は、初陣で関中(西安の付近を東西に貫流する渭水流域)の平定に成功した。劉邦はここを策源地とした。劉邦は紀元前二〇五年、韓信に命じて山西省南部の魏王豹の討伐を命じた。討伐には黄河を渡らねばならない。そこで韓信が行った計略が声東撃西の計だったのである。 |
韓信、渡河点を変じて魏を伐つ
沢水[兌]が地上[坤]に集まって物を潤すのが萃であるが、人や物がたくさん集まれば思いがけない変事が生じやすいので、その機に乗じて敵軍に進攻して殲滅する。 |